この記事の目次
「在庫は価格に入っていますか」。EC事業の売却で、売り手と買い手の認識がずれやすい点です。帳簿に1,000万円の在庫があっても、買い手が1,000万円を払うべきとは限りません。この記事は、在庫を価格にどう入れるか、滞留・不良の在庫をどう評価するか、棚卸と価格調整を契約にどう書くかを整理します。
この記事の結論
- 在庫の扱いは、先に3通りから選びます。 事業の価値に含める、別に精算する、売り手が処分する。どれでも、実地棚卸と価格調整の方法を決めておきます。
- 帳簿価額は、そのまま在庫の値打ちになりません。 会計基準の考え方(正味売却価額)を借りて、売って手元に残る額で見直します。
- 滞留・不良・返品予定・季節外の4区分に分けて評価します。 モール倉庫や委託先にある在庫は、所有権と引渡しを確かめてから価格に入れます。
この記事の対象:在庫を持つEC事業の売却・買収を検討している方。商品の取り扱いが多いネットショップやモール出店者が中心です。
EC事業のM&A全体の見方は、EC・ネットショップのM&A DATAにまとめています。この記事は、そのうち「在庫を価格にどう反映するか」だけを扱います。アカウントの引き継ぎはAmazon セラーアカウント 譲渡で扱っています。会計・税務・契約の個別の判断は、公認会計士・税理士・弁護士に確認してください。以下の内容は、2026年10月18日時点で取得した条文・基準に基づきます。
在庫の扱いは「含める」「別に精算する」「売り手が処分する」から先に選ぶ
結論: 在庫の扱いは法律で決まっていません。価格の交渉の前に、どの扱いにするかを決めると、後の論点が整理できます。
本記事の整理では、在庫の扱いは次の3通りです。この分類は、取得できた一次資料に書かれたものではなく、論点を分けて考えるための整理です。
| 扱い | 内容 | 向いている場面 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 事業の価値に含める | 通常の運営に必要な在庫を、事業の価格に含めて決める | 在庫の水準が安定していて、売れ行きが読める | 「通常の在庫水準」をどう決めるかで揉めやすい |
| 別に精算する | 事業の価格と在庫の代金を分け、基準日の棚卸で在庫分を決める | 在庫が季節や仕入れで大きく動く | 評価の方法と棚卸の手順を契約に書く必要がある |
| 売り手が処分する | 売らずに残す在庫を、売り手が自分で売り切る | 不良在庫や滞留在庫が多い | 譲渡日までに売り切れるか、残った分の扱いを決める |
実際には、組み合わせるのが現実的です。たとえば、売れ筋は別に精算し、滞留品は売り手が処分する、と分けます。
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 「在庫込みで」と言うだけで、在庫の範囲と評価を決めない | 範囲(どの倉庫・どの品目)と評価の考え方を、価格の前に文書にする |
| 帳簿の在庫額を、そのまま在庫の代金にする | 品目を区分し、区分ごとに評価し直す |
| 株式譲渡と事業譲渡で、在庫の話は同じと考える | 株式譲渡は会社ごと、事業譲渡は資産を個別に移す。在庫の移し方と確認の手順は別に整理する |
帳簿の在庫額は仕入れた額、価格に効くのは売って手元に残る額
結論: 帳簿の在庫額は買値の記録です。買い手が知りたいのは、その在庫を売ったとき、経費を引いていくら残るかです。
企業会計基準第9号「棚卸資産の評価に関する会計基準」(以下「会計基準」)は、通常の販売目的で持つ棚卸資産を、取得原価で貸借対照表に載せるとしています。ただし期末の正味売却価額が取得原価より下がっている場合は、正味売却価額を貸借対照表価額とし、差額を当期の費用にするとしています(第7項)。正味売却価額は、売価から見積追加製造原価と見積販売直接経費を引いたものです(第5項)。
会計基準は決算のための基準で、M&Aの価格を決めるものではありません。ただ、「帳簿価額と、売って残る額のどちらか低いほう」という考え方は、買い手が在庫を見るときの物差しとして使えます。本記事ではこの考え方を借りて、以降の試算を組みます。
会計基準が決めていることのうち、価格の話に役立つ点は次のとおりです。
| 会計基準の内容 | 在庫の評価に使うとき |
|---|---|
| 取得原価は、購入代価に引取費用などの付随費用を加えたもの(第6-2項) | 仕入れ値だけでなく、輸入や運送の費用が入っているかを帳簿で確かめる |
| 収益性の低下の判断と簿価切下げは、原則として品目ごと(第12項) | 全体の合計ではなく、品目(SKU)ごとの一覧を求める |
| 企業が複数の売却市場に参加しうるときは、実際に販売できると見込まれる売価を使う。市場別に区分できないときは販売比率による加重平均売価等による(第11項) | 自社EC・モール・値引き処分など、売れる先ごとの売価を分ける |
EC事業では、販売直接経費に何を含めるかが評価額を動かします。モール手数料、決済手数料、梱包・配送料などが当たりうると考えられますが、どこまでを「見積販売直接経費」とみなすかは、会計基準の本文からは決まりません。ここは本記事の整理として、買い手と売り手で項目を並べて合意するのが現実的です。
滞留・不良・返品予定・季節外の4区分に分けて、区分ごとに評価を変える
結論: 在庫を一括りにせず、売れ行きの状態で4つに分けます。区分が違えば、評価の根拠にする資料も違います。
会計基準は、営業循環過程から外れた滞留品や処分見込みの棚卸資産について、合理的に算定した価額によるのが難しい場合は、帳簿価額を処分見込価額(ゼロや備忘価額を含む)まで切り下げる方法、または一定の回転期間を超える場合に規則的に切り下げる方法で、収益性の低下を反映するとしています(第9項)。何日以上を滞留とみなすかなどの数値は、会計基準には書かれていません。本記事も数値は示しません。
本記事の整理では、次の4区分で見ます。
| 区分 | 状態 | 評価の考え方(本記事の整理) | 買い手が求める資料 |
|---|---|---|---|
| 通常在庫 | 直近の販売実績があり、通常の価格で売れている | 帳簿価額と、売って残る額の低いほう | 品目別の販売実績と現在の売価 |
| 滞留在庫 | 販売が止まっている、または大きく値引きしないと動かない | 値引き後の売価から経費を引いた額。見込みが立たなければ処分見込価額 | 入庫日、直近の販売日、値引き履歴 |
| 不良・返品予定 | 破損・型崩れ・品質変化などで通常の販売ができない、または返品が見込まれる | 処分見込価額。ゼロもありうる | 返品の件数、検品の記録、処分の方法 |
| 季節外 | 季節や流行で、今は売れない商品 | 次の販売時期まで持てるかを見て、売価を置く | 前年の同時期の販売実績 |
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 滞留在庫を、通常在庫と同じ単価で数える | 入庫日と最終販売日で区分し、滞留分は別に評価する |
| 返品予定の在庫を、売上と在庫の両方に数える | 返品の件数と処理状況を確かめ、返品後に売れる状態かを分ける |
| 「いつか売れる」という売り手の説明を、そのまま評価にする | 過去の販売実績と、値引き後の売価で、売れる根拠を確かめる |
仮の数字で試算すると、帳簿1,000万円の在庫は778万円になる
結論: 帳簿が同じ1,000万円でも、区分ごとに評価すると、売って残る額は変わります。次の数字は、評価の流れを見るための仮の数字です。実際の相場や基準値ではありません。
仮の前提:販売直接経費(モール手数料・決済手数料・梱包・配送料など)は、想定売価の30%とします。この30%は計算を示すための仮置きで、基準値ではありません。評価額は、帳簿価額と正味売却価額の低いほうとします(会計基準第7項の考え方)。不良・返品予定は、処分見込価額で置きます(第9項の考え方)。単位は万円です。
| 区分 | 帳簿価額 | 想定売価 | 販売直接経費(30%) | 正味売却価額 | 評価額 |
|---|---|---|---|---|---|
| 通常在庫 | 600 | 900 | 270 | 630 | 600 |
| 滞留在庫 | 250 | 200 | 60 | 140 | 140 |
| 不良・返品予定 | 100 | 処分見込10 | - | 10 | 10 |
| 季節外 | 50 | 40 | 12 | 28 | 28 |
| 合計 | 1,000 | - | - | - | 778 |
この試算では、帳簿の1,000万円との差は222万円です。通常在庫は、正味売却価額(630万円)が帳簿価額(600万円)を上回るため、帳簿価額のまま評価しています。売れれば帳簿以上に残るとしても、評価の上限は帳簿価額に置くという前提です。この上限の置き方は、買い手が通常在庫に払う額が、仕入れ値を超えないようにするための考え方で、価格の決め方として一つの例にすぎません。
この差額の扱いは、3通りの話になります。
- 帳簿価額で精算する: 売り手は帳簿どおりに受け取り、買い手は222万円分を負担する。買い手が価格交渉で他の項目から取り戻す。
- 評価額で精算する: 在庫の代金を778万円とする。売り手は帳簿との差を損として受け取る。
- 滞留・不良分を除く: 売り手が自分で処分し、買い手は通常在庫だけを買う。
どれにするかは交渉事項です。売り手の税務への影響が出ることもあるため、税理士に確認してから進めます。
税務上の評価損が認められる場合は限られ、帳簿が実態を映しているとは限らない
結論: 売れない在庫でも、税務では簡単に損として処理できません。帳簿の在庫額に、売れない分が残っている可能性があります。
法人税法第33条は、資産の評価換えで帳簿価額を減額した部分を、原則として損金に算入しないとしています。例外として、災害による著しい損傷など政令で定める事実が生じ、損金経理で減額した場合は、一定の金額まで損金に算入するとしています。法人税法施行令第68条は、棚卸資産について次の事実を挙げています。
- 災害により著しく損傷したこと
- 著しく陳腐化したこと
- それらに準ずる特別の事実
国税庁の法人税基本通達は、このうち陳腐化の例として、季節商品の売れ残りで今後通常の価額では販売できないことが既往の実績その他の事情に照らして明らかな場合(9-1-4)、準ずる特別の事実の例として、破損、型崩れ、たなざらし、品質変化などで通常の方法では販売できなくなった場合(9-1-5)を挙げています。一方で、時価が物価変動、過剰生産、建値の変更などで下がっただけでは、これらの事実に当たらないとしています(9-1-6)。
つまり、会計や税務の処理次第で、売れにくい在庫が帳簿価額のまま載っている可能性があります。買い手は、「帳簿に載っているから価値がある」と見ず、品目別の販売実績で確かめます。売り手は、評価損を計上した履歴と、その根拠(事実の記録)を用意しておくと、評価の説明がしやすくなります。
税務上の評価損の可否や、評価方法(法人税法施行令第28条は原価法と低価法を挙げ、第28条の2は、それ以外の特別な評価方法を使うには所轄税務署長の承認が要ると定めています)の個別の判断は、税理士に確認してください。
モール倉庫・委託先・輸送中の在庫は、所有権と引渡しを確かめてから価格に入れる
結論: 手元の倉庫にない在庫は、誰のものか、どう移すかを先に確かめます。確認できない在庫は、価格に入れません。
在庫が自社の倉庫にない場合があります。モール事業者の倉庫、外部の物流会社、委託先の倉庫、仕入れ済みで輸送中の商品です。民法は、物権の設定・移転は当事者の意思表示のみで効力を生じる(第176条)とし、動産に関する物権の譲渡は、その動産の引渡しがなければ第三者に対抗できない(第178条)としています。契約で所有権が買い手に移ることを決めても、第三者への主張には引渡しが要る、ということです。
| 在庫の置き場所 | 確認すること | 価格への入れ方(本記事の整理) |
|---|---|---|
| モール事業者の倉庫 | モールの規約で、在庫の管理や名義の移管がどうなるか。アカウントの引き継ぎとの関係 | アカウントの承諾が出るまでは、価格に入れる額を保留する |
| 外部の物流会社の倉庫 | 保管契約の当事者と、引渡しの方法。保管料の未払いがないか | 引渡しの方法が決まった在庫だけを入れる |
| 委託先・預け先 | 所有権が売り手にあるか。預かり在庫は売り手のものか | 所有権の証憑がないものは入れない |
| 輸送中(仕入れ済み・未着) | 仕入契約で、所有権がいつ移るか。通関や検品の状況 | 到着・検品を確認してから入れる。契約で決めておく |
モールの規約や倉庫会社との契約は、それぞれ別に改定されます。内容は本記事では確認できていないため、個別に確認してください。アカウントの引き継ぎの全体は、Amazon セラーアカウント 譲渡を参照してください。
実地棚卸と価格調整の方法を契約に書き、基準日と譲渡日のずれを埋める
結論: 在庫は日々動きます。基準日の棚卸で数量と状態を確かめ、譲渡日までの変動を価格で調整する方法を、先に書いておきます。
契約に入れる項目は次のとおりです。具体的な条文は、弁護士に作ってもらってください。
| 項目 | 決めること |
|---|---|
| 棚卸の基準日と立会い | いつの在庫を数えるか。買い手が現場に立ち会うか、記録で確かめるか |
| 棚卸の単位 | 品目(SKU)ごとか、区分ごとか。数量と状態の記録の形式 |
| 評価の方法 | 区分ごとの評価の考え方(上の4区分など)と、使う資料 |
| 基準日から譲渡日までの変動 | 入出庫の差を、どの式で価格に加減するか |
| 範囲の外にする在庫 | 売り手が処分する在庫、所有権が確認できない在庫 |
| 売却後に不良が見つかった場合 | 申し出の期間と、価格の調整や引取りの扱い |
売却後の不良については、民法に定めがあります。引き渡された目的物が種類・品質・数量について契約の内容に適合しないとき、買主は追完の請求(第562条)をでき、追完がなければ不適合の程度に応じた代金の減額を請求できます(第563条)。種類・品質の不適合は、買主が知った時から1年以内に通知しないと請求できなくなります(第566条。売主が引渡し時に知っていた、または重大な過失で知らなかったときを除く)。なお、会社どうしの売買など商人間の売買では、商法第526条により、買主は受け取った後に遅滞なく検査し、不適合を見つけたら直ちに通知する必要があり、すぐに発見できない不適合でも6か月以内に見つけて通知しなければ請求できなくなります。これは売買の目的物として在庫を引き渡す場合の規定で、株式譲渡では対象が株式になるため扱いが変わりえます。契約でどう定め、どこまで買い手の請求を認めるかは、弁護士に確認してください。
まとめ
- 在庫は「事業の価値に含める」「別に精算する」「売り手が処分する」から先に選び、棚卸と価格調整の方法を決めます。
- 帳簿の在庫額は仕入れの記録です。正味売却価額の考え方を借りて、通常・滞留・不良/返品予定・季節外の4区分に分けて評価し直します。
- モール倉庫・委託先・輸送中の在庫は、所有権と引渡しを確かめてから価格に入れます。会計・税務・契約の判断は専門家に確認します。
自社の場合を確認する 在庫を含めた事業の価値を、自社の数字で確かめたいとき → 事業価値を確認する
よくある質問(FAQ)
Q1. ECサイトを売るとき、在庫は譲渡価格に含まれますか? A. 決まりはなく、契約で決めます。本記事の整理では、事業の価値に含める、別に精算する、売り手が処分して除く、の3通りがあります。どれを選んでも、在庫の数量と状態を確かめる実地棚卸と、価格の調整方法を先に決めておく必要があります。
Q2. 帳簿上の在庫額で買えば問題ありませんか? A. 帳簿価額は仕入れや製造にかかった額が基本で、売れる見込みを示すものではありません。会計基準は、期末の正味売却価額が取得原価より下がっている場合は正味売却価額まで下げると定めています。買い手は、帳簿価額をそのまま使わず、売って手元に残る額で見直すのが安全です。
Q3. 売れ残った在庫は、税務上は損として処理できますか? A. 限られた場合だけです。法人税法施行令は、棚卸資産の評価損を認める事実として、災害による著しい損傷、著しい陳腐化、それらに準ずる特別の事実を挙げています。国税庁の通達は、時価が物価変動や過剰生産などで下がっただけでは該当しないとしています。個別の判断は税理士に確認してください。
Q4. 滞留している在庫は、いくらで評価すればよいですか? A. 一律の係数は確認できていません。会計基準は、営業循環過程から外れた滞留品や処分見込みの在庫を、処分見込価額まで切り下げる方法や、一定の回転期間を超えたら規則的に切り下げる方法で反映してよいとしています。買い手と売り手は、品目ごとの想定売価と処分の方法を並べて、評価の考え方に合意します。
Q5. Amazonの倉庫や委託先に置いてある在庫も、一緒に引き継げますか? A. 在庫の所有者と置き場所の契約で変わります。民法は、動産の所有権の移転は当事者の意思表示で生じ、第三者に対抗するには引渡しが必要と定めています。倉庫会社やモールの規約で名義や管理の移管に承認が必要な場合もあるため、契約前に確認します。
Q6. 売却後に在庫の不良が見つかったら、どうなりますか? A. 事業譲渡で在庫が売買の目的物になる場合、民法は、引き渡された物が契約の内容に適合しないときの買主の請求として、追完の請求、代金の減額の請求などを定めています。品質の不適合については、民法では知った時から1年以内の通知が必要ですが、会社どうしの売買では商法により受領後の検査と直ちの通知(すぐに発見できない不適合も6か月以内)が求められます。株式譲渡の場合の扱いも含め、契約でどう定めるかは弁護士に確認してください。
出典
- 企業会計基準委員会「企業会計基準第9号 棚卸資産の評価に関する会計基準」(最終改正2019年7月4日) https://www.asb-j.jp/jp/wp-content/uploads/sites/4/20200331_03.pdf
- e-Gov法令検索「法人税法」第33条 https://laws.e-gov.go.jp/law/340AC0000000034
- e-Gov法令検索「法人税法施行令」第28条・第28条の2・第68条 https://laws.e-gov.go.jp/law/340CO0000000097
- 国税庁「法人税基本通達 第2款 棚卸資産の評価損」 https://www.nta.go.jp/law/tsutatsu/kihon/hojin/09/09_01_02.htm
- e-Gov法令検索「商法」第526条 https://laws.e-gov.go.jp/law/132AC0000000048
- e-Gov法令検索「民法」第176条・第178条・第562条・第563条・第566条 https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089