この記事の目次
- この記事の結論
- 買収前に確かめるのは「誰が抜けると何が止まるか」。人を縛る前に、担当業務を一覧にする
- 株式譲渡は雇用主が変わらず、事業譲渡は雇用を移す手続が要る。いずれも残るかは本人が決める
- 辞められる条件は、雇用・委任・業務委託・役員で違う。法令は退職の自由を前提にしている
- 単独で管理しているものは、人から仕組みに移す。権限・手順・コードの順で潰す
- 代替体制は人数ではなく「役割」で考える。DSS-Pの役割名を、自社の言葉に置き換える
- 残留の条件は、金額より先に「何を、いつまでにしてもらうか」を決める。数字は個別に設計する
- 離任できる状態は「買い手側の人が、実際に作業を実行できた状態」。完了条件を担当業務ごとに書面にする
- まとめ
- よくある質問(FAQ)
- 出典
この記事の結論
- 買収前に確かめるのは、人の人柄ではなく「誰が抜けると、どの作業が止まるか」です。担当業務を一覧にし、一人でしか触れないものを先に洗い出します。
- 雇用・委任・業務委託・役員では、辞められる条件が違います。法令は退職の自由を前提にしているため、辞めさせない仕組みではなく、辞めても止まらない仕組みを先に作ります。
- 離任できる状態は、買い手側の別の人が、実際に作業を実行できた状態です。引継ぎ完了の条件を、担当業務ごとに書面にします。
この記事の対象: 創業者や主要エンジニアが数人で開発・運用しているWebサービス・アプリを、買収する側。経営者の営業力への依存や、買収後の最初の100日の全体像は扱いません。
買収前に確かめるのは「誰が抜けると何が止まるか」。人を縛る前に、担当業務を一覧にする
結論: 残留の交渉より先に、担当業務の一覧を作ります。一覧に「この人しか触れない」が残る箇所が、買収の条件にすべき論点です。
中小企業庁の「中小PMIガイドライン~中小M&Aを成功に導くために~」には、譲渡側従業員が日常的にどのような業務を行っていたか、誰がどのような取引先の対応をしていたかを十分に把握していなかったため、一部の従業員の退職で重要な技術・ノウハウや取引先を失った、という失敗例が載っています。同じガイドラインは、譲渡側の業務には経営者や一部の従業員だけに属人化しているものがあり、その場合は本人へのヒアリングで把握せざるを得ないこと、本人の記憶が曖昧だったり、不利な取引の発覚をおそれて意図的に引継ぎを行わなかったりすることがあること、業務の規程や帳票が実態と離れていることがあることを、留意点として挙げています。
また、ガイドラインは、業務日報の確認やヒアリングで各従業員の担当業務・取引先・課題を把握すること、譲受側が現場で一緒に業務を行って手順を確認することを取組例にしています。Webサービスに当てはめると、次の一覧になります(本記事の整理)。
| 領域 | 確かめること | 「一人しか触れない」ときの例 |
|---|---|---|
| ソースコード | 誰が書き、誰がレビューし、誰がマージできるか | 一人が主要な部分を書き、他の人が読めない |
| 本番への反映 | リリースの手順と、実行できる人 | 手元の端末から手作業で反映している |
| 障害対応 | 夜間や休日に、最初に気づき、判断する人 | 一人のスマホにだけ通知が届く |
| 外部サービス・API | 契約者、管理者、鍵の保管場所 | 担当者の個人アカウントで契約している |
| データベース・インフラ | 構成を説明できる人、バックアップから復元した人 | 構成図がなく、設定は一人の記憶にある |
| 仕様の判断 | 何を作り、何を断るかを決める人 | 創業者の頭の中にだけ基準がある |
数人の仮の例です。創業者がCTOを兼ね、社員のエンジニアが1人、業務委託のエンジニアが1人いるとします。この一覧を作ると、「創業者だけが本番に反映できる」「業務委託の人だけが決済連携の設定を知っている」といった偏りが見えます。偏りの数は仮の例で、実際の事業の水準を示すものではありません。
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 主要エンジニアの顔合わせだけで「頼れそう」と判断する | 担当業務の一覧を作り、一人でしか触れない箇所の数を確かめる |
| 売り手の説明だけで、運用の実態を把握したと考える | 業務日報や作業の履歴を見て、実際の作業を一緒に実行してみる |
| 属人化を、本人への聞き取りだけで洗い出す | ガイドラインのとおり、記憶違いや意図的な引継ぎ漏れが起きうる前提で、手順を一緒に実行して確かめる |
買収後のドメイン、サーバー、決済、ストアの権限の移し方は、別記事のWebサービス 買収後 運営にあります。コードやインフラの確認項目はSaaS 買収 技術DDも参考になります。
株式譲渡は雇用主が変わらず、事業譲渡は雇用を移す手続が要る。いずれも残るかは本人が決める
結論: 譲渡の方法で、確認する手続が変わります。どちらでも、残るかどうかは本人の意思で決まるため、キーパーソンには先に個別に話します。
| 譲渡の方法 | 雇用契約の相手 | 本記事の整理での確認点 |
|---|---|---|
| 株式譲渡 | 会社のまま(法人格が変わらないため) | 契約は続いても、本人が辞める自由は変わらない。方向性と処遇を示して、安心してもらう |
| 事業譲渡 | 雇用を買い手に移す手続が要る場合がある | 民法625条1項は、使用者が労働者に対する権利を第三者に譲り渡すには労働者の承諾が必要と定めている。従業員ごとの承諾や再契約の進め方を、弁護士・社会保険労務士に確認する |
中小PMIガイドラインは、譲渡側従業員に対して、M&Aの目的や経緯を「遅滞なく」「全ての従業員に」「同時に・等しく・正確に」伝えることを挙げています。そのうえで、業務や他の従業員への影響力が大きい人材(ガイドラインでいうキーパーソン)には、他の従業員に先行して情報を伝え、意見を聞き、協力を得られるよう合意しておくとしています。失敗例として、従業員への説明前に噂が広まって多くの従業員が不安を募らせて離職したこと、経営の方向性を明確に定めなかったために従業員の不安が募り離職の温床になったことが載っています。
キーパーソンへの先行開示には、情報流出のリスクがあります。ガイドラインは、必要に応じて秘密を保持する旨を誓約する書面を取ることを挙げています。誰に、いつ、どこまで話すかの順番は、売り手と事前に決めておきます。
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 譲渡を、主要エンジニアに成立後まで伝えない | 基本合意の後に、キーパーソンへ個別に開示し、秘密を保つ書面を取る |
| 事業譲渡でも、従業員が自動的に移ると考える | 従業員ごとの承諾や再契約の手続を、成立前に確認する |
| 譲渡の方向性を示さずに、不安を放置する | 変わること、変わらないこと(担当、処遇)を、本人に個別に説明する |
辞められる条件は、雇用・委任・業務委託・役員で違う。法令は退職の自由を前提にしている
結論: 契約の種類ごとに、辞められる時期の定めが違います。いずれも、買い手が「辞めない」ことを前提にしないで設計します。
| 立場 | 主な条文 | 条文が書いていること |
|---|---|---|
| 期間の定めのない雇用 | 民法627条1項 | 各当事者がいつでも解約の申入れをでき、申入れから2週間で終了する |
| 期間の定めのある雇用 | 民法628条、労働契約法17条1項 | やむを得ない事由があれば、各当事者は直ちに解除できる。使用者が期間の途中で解雇できるのは、やむを得ない事由がある場合に限る |
| 委任・準委任(業務委託の一形態) | 民法643条・656条・651条 | 各当事者がいつでも解除できる。相手に不利な時期に解除したときは損害賠償の定めがある(やむを得ない事由を除く) |
| 請負(成果物の完成を約束する契約) | 民法632条 | 仕事の完成を約し、その結果に報酬を支払う契約。完成までの責任の範囲を契約で確認する |
| 取締役などの役員 | 会社法330条・346条1項 | 会社と役員の関係は委任の規定に従う。役員が欠けた場合、辞任した役員は新たな役員が就任するまでなお役員としての権利義務を持つ |
この表は条文の内容の整理で、個別の契約への当てはめではありません。業務委託と呼ばれる契約が、委任・準委任か請負かは、契約の名前ではなく内容で整理が変わることがあります(本記事の整理)。就業規則や個別の合意で、退職の申出の期限を民法より長く定めている場合の効力は、個別に確認が必要です。
買い手側も、辞めさせる、入れ替える自由は広くありません。労働契約法16条は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当と認められない解雇を無効とします。労働条件の変更も、労働契約法8条は労働者と使用者の合意によると定め、9条は、使用者が労働者と合意することなく就業規則を変更して労働者の不利益に労働条件を変更することはできないと定めています(ただし次条の場合は除かれます)。
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 「契約があるから辞めない」と考える | 期間の定めの有無にかかわらず、辞めても止まらない状態を先に作る |
| 買収後に処遇を、本人に告げずに変える | 変更は本人と合意して書面に残す(労働契約法8条、4条2項) |
| 業務委託を、雇用と同じ感覚で扱う | 委任・準委任・請負のどれにあたるかを、契約書の条項と実態で確認する |
契約の当てはめ、解雇や労働条件変更の可否は、弁護士や社会保険労務士に確認してください。
単独で管理しているものは、人から仕組みに移す。権限・手順・コードの順で潰す
結論: 人が辞めて困るのは、その人の頭と個人アカウントにしかないものです。個人から会社の仕組みに移すことが、最も確実な備えです。
ガイドラインは、引き継いだ事業を安定的に運営しつつ、法的リスクや事業停止リスクの高いものを優先して改善すると位置づけています。Webサービスで事業停止につながりやすい順に並べると、次のようになります(本記事の整理)。
| 順番 | 移すもの | 移した状態の確認 |
|---|---|---|
| 1 | 外部サービス・本番環境の権限 | 個人のアカウントではなく、会社の管理者が複数いる |
| 2 | 本番への反映の手順 | 手順書があり、売り手以外の人が実行できた |
| 3 | 障害の連絡経路 | 通知が複数の人に届き、判断の順番が決まっている |
| 4 | コードの知識 | レビューの履歴があり、他の人が読んで説明できる |
| 5 | 仕様の判断基準 | 作る・断る基準が文書になっている |
IPAの「デジタルスキル標準 DSS-P 分冊版 ver.2.0」は、共通スキルリストに、ソフトウェア開発の「チーム開発」(学習項目例にGit/Gitワークフロー、リーダブルコード、テクニカルライティング)、「SREプロセス」(CI/CD & DevOps など)、セキュリティマネジメントの「インシデント対応と事業継続」を挙げています。これらは、上の表の手順書、反映、障害対応に対応する言葉として使えます(本記事の整理)。
引き継ぎの練習は、売り手が見守る中で、買い手側の人が実際に作業を行う形で確かめます。手順書を読むだけでは、書かれていない前提が残ります。
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 手順書があるから大丈夫と考える | 売り手以外の人が、手順書だけで実行できたかを確かめる |
| 担当者の個人アカウントのまま運用を続ける | 会社の管理者を複数にして、権限を移す |
| コードの理解を、売り手の説明会一回で済ませる | レビューや小さな修正を、買い手側の人が実際に行う |
代替体制は人数ではなく「役割」で考える。DSS-Pの役割名を、自社の言葉に置き換える
結論: 代替要員を探す前に、必要な役割を言葉にします。一人が複数の役割を担っているなら、その人が抜けたときに、いくつの役割が空くかが分かります。
IPAの「デジタルスキル標準 DSS-P 分冊版 ver.2.0」は、ソフトウェアエンジニアの類型を、フロントエンドエンジニア(インターフェースの機能)、バックエンドエンジニア(サーバサイドの機能)、クラウドエンジニア/SRE(開発・運用環境の最適化と信頼性の向上)、フィジカルコンピューティングエンジニアの役割に分けています。また、1人が複数のロールを担うことも、複数人で1つのロールを担うことも想定されていること、役割は企業が最初からすべて揃えることは必須でなく、事業規模に応じて一部から揃えていくことが想定されていることを述べています。
ただし、この標準は企業のDXを推進する人材のための指針で、小規模なWebサービスの引継ぎ用ではありません。IPA自身が、特定の産業や職種に関する知識を問わない汎用的な表現にしているため、個々の組織への適用では事業に合わせた具体化が求められるとしています。次の表は、その汎用的な役割名を、引継ぎの確認に使う本記事の整理です。
| 確認する役割 | 買収前に確かめること | 空いたときの代替先の候補 |
|---|---|---|
| フロントエンド | 画面の実装を、他の人が読んで直せるか | 社内の他の人、外注先、買い手の開発チーム |
| バックエンド | サーバ側の機能とデータベースを説明できる人がいるか | 同上 |
| クラウド/SRE | 本番の構成、反映、監視、復元を担う人がいるか | 外部の運用事業者、買い手側の担当者 |
| セキュリティ | 権限、脆弱性の対応、インシデントの判断を誰がするか | 同上 |
| プロダクトの責任者 | 優先順位と仕様の判断をする人がいるか | 買い手の経営者や担当者 |
仮の例です。3つの役割(バックエンド、クラウド/SRE、プロダクトの責任者)を創業者1人が担っているとします。この人が抜けると3つの役割が同時に空くため、1人を採用すれば済むという計算にはなりません。担当業務の一覧と、役割の一覧を見比べて、空く役割の数を確かめます。
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 「エンジニアを1人採用すれば代わりになる」と考える | 抜ける人が担っている役割を数え、代替先を役割ごとに決める |
| 外注先に全部任せれば安心と考える | 外注先との契約の範囲と、解除の条件を確認する(委任・準委任は民法651条) |
| 全部の役割を最初から揃える | 事業規模に応じて、停止につながる役割から揃える |
残留の条件は、金額より先に「何を、いつまでにしてもらうか」を決める。数字は個別に設計する
結論: 残留の条件で先に決めるのは、担当業務、引継ぎの完了条件、在籍期間です。金額や期間の水準は、本記事では示さず、個別に設計します。
中小PMIガイドラインは、譲渡側経営者が残る場合、処遇(役職、報酬、在籍期間等)を合意のうえ書面(覚書等)に明記すること、役割・報酬・在籍期間を事前に合意しておくことを挙げています。失敗例として、引継ぎのための在籍期間を事前に定めていなかったため、売り手の影響力が長く残ったことが載っています。従業員については、ガイドラインの発展編が、キーパーソンである役職員が離職しないよう報酬や人事評価の制度を必要に応じて見直すこと、キーパーソン固有の知見や人脈が共有されるよう働き掛け、離職した場合でも円滑に対応できるよう代替策を検討することを挙げています。賃金体系や退職金などの労働条件を、M&A成立後の一定期間は現状の水準で維持する旨を合意することもある、としています。
リテンションボーナスなど、残留に対する金銭の条件、その期間、離職率については、一次資料を取得して確かめていないため、数字は示しません。金銭の設計は、税務や労務の影響があるため、税理士や社会保険労務士に確認してください。
| 決めること | 内容の例(本記事の整理) |
|---|---|
| 担当業務 | 引継ぎで何をしてもらうか。新機能の開発を含めるか、引継ぎだけか |
| 在籍期間 | 見積もれないときは、期間を区切って見直す形も検討する |
| 引継ぎ完了の条件 | 次の章の「離任できる状態」で、担当業務ごとに決める |
| 処遇の変更 | 本人と合意して書面に残す |
| 秘密保持・競業 | 次の表を参照 |
秘密保持、競業避止、引き抜き防止の合意は、種類によって根拠と効力が違います。
| 合意・規定 | 根拠として確認できること | 本記事での扱い |
|---|---|---|
| 秘密保持 | 中小PMIガイドラインが、キーパーソンへの情報開示の際に誓約書面の取得を挙げている | 開示の範囲を決め、書面にする |
| 事業を譲渡した会社の競業避止 | 会社法21条:別段の意思表示がない限り、同一の市町村とこれに隣接する市町村の区域内で、譲渡した日から20年間、同一の事業を行わない。特約は譲渡の日から30年の期間内に限り有効。不正の競争の目的での同一事業は禁止 | 譲渡「会社」の義務。オンラインのサービスにどう当てはまるかは個別に確認 |
| 在任中の取締役の競業 | 会社法356条1項1号:取締役が自己または第三者のために会社の事業の部類に属する取引をするときは、株主総会で重要な事実を開示し承認を受ける(取締役会設置会社では、365条1項により取締役会の承認) | 在任中の取締役の取引に関する規定。退任後の競業を直接定めたものではない(本記事の整理) |
| 従業員・業務委託先個人との競業避止・引き抜き防止 | 本記事では有効性の基準となる一次資料を取得していない | 内容と有効性を弁護士に確認する |
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 残留の金額から先に交渉する | 担当業務、完了条件、在籍期間を先に決めてから、処遇を設計する |
| 競業避止を、広く長く書けば安心と考える | 範囲、期間、代償を、弁護士と確かめる |
| 在籍期間を決めずに、成り行きで続ける | 期間を区切って見直す形にする |
離任できる状態は「買い手側の人が、実際に作業を実行できた状態」。完了条件を担当業務ごとに書面にする
結論: 引継ぎは、説明を受けた時点ではなく、買い手側の人が一人で実行できた時点で完了とします。担当業務ごとの完了条件を、離任の前に決めます。
ガイドラインは、売り手の経営者の承認がないと現場が判断できず、退任後に業務が停滞した失敗例を載せています。人が抜けた後に判断できる人がいない状態を、開発の場面に置き換えると、次の完了条件になります(本記事の整理)。
| 担当業務 | 完了条件の例 |
|---|---|
| 本番への反映 | 売り手以外の人が、手順書のとおりに実行し、元に戻す操作も行えた |
| 障害対応 | 買い手側の担当者が、障害の訓練または実際の対応で、一次対応を行えた |
| 外部サービス・鍵 | 管理者が会社の複数人になり、売り手個人のアカウントから外れた |
| コードの変更 | 買い手側の人が、小さな修正を行い、レビューを経て本番に出せた |
| データベース | 買い手の環境でバックアップから復元できた |
| 仕様の判断 | 判断基準の文書があり、買い手側の人が判断を行い、売り手の確認なしで進められた |
| 避けたい判断 | こうすればOK |
|---|---|
| 引継ぎ期間を、日数だけで区切る | 担当業務ごとの完了条件を満たしたかで判断する |
| 売り手の権限を、引継ぎ前に外す | 完了条件を確かめた後に、権限を外す時期を決める |
| 離任の後の問い合わせを、考えていない | 離任後に連絡できる範囲と窓口を、書面で決めておく |
契約書の内容、離任後の協力の範囲は、個別の事情で変わります。弁護士に確認してください。
まとめ
- 買収前に、担当業務の一覧を作り、一人でしか触れない箇所を洗い出します。人が辞めて困るものは、権限、手順、コード、判断基準の順に、個人から会社の仕組みへ移します。
- 雇用、委任・準委任、役員では、辞められる条件が違います。法令は退職の自由を前提にしているため、辞めさせない設計ではなく、辞めても止まる箇所が残らない設計にします。
- 残留の条件は、金額の前に、担当業務、引継ぎの完了条件、在籍期間を書面で決めます。離任できる状態は、買い手側の人が実際に作業を実行できた状態です。
自社の場合を確認する 買収を検討しているサービスの事業価値を、自社の数字で確かめたいとき → 事業価値を確認する
よくある質問(FAQ)
Q1. 買収後に主要エンジニアが辞めるのを、契約で完全に防げますか? A. 完全には防げません。民法627条1項は、期間の定めのない雇用では各当事者がいつでも解約の申入れをでき、申入れから2週間で雇用が終了すると定めています。委任・準委任の契約も、民法651条1項で各当事者がいつでも解除できます。契約でできるのは、辞める可能性を前提に、引継ぎの内容と時期を決めておくことです。就業規則や個別の合意で退職の申出の期限を定めている場合の扱いは、弁護士や社会保険労務士に確認してください。
Q2. リテンションボーナスは、いくら、いつまで払うものですか? A. 金額や期間の水準を示す一次資料は、本記事では取得していないので示しません。中小PMIガイドラインは、キーパーソンの離職を防ぐために報酬や人事評価の制度を必要に応じて見直すことと、離職した場合に備えて代替策を検討することを挙げています。本記事の整理では、残留の条件は金額より先に、何をしてもらうか(担当業務、引継ぎの完了条件、在籍期間)を決め、処遇の変更は本人と合意して書面に残します。労働契約法は、労働条件の変更は労働者と使用者の合意によると定め(第8条)、内容はできる限り書面で確認するとしています(第4条第2項)。条件の設計は、社会保険労務士や弁護士に確認してください。
Q3. 株式譲渡なら、従業員は自動的に残りますか? A. 雇用契約の相手は会社のままなので、本記事の整理では、株式譲渡で雇用契約そのものが切り替わることはありません。ただし、残るかどうかは本人の意思で決まります。中小PMIガイドラインにも、方向性が示されなかったことや噂が広まったことで従業員が離職した失敗例が載っています。事業譲渡では、民法625条1項が使用者の権利を第三者に譲り渡すには労働者の承諾が要ると定めているため、雇用を買い手に移す手続を個別に確認する必要があります。
Q4. 競業避止の合意は、エンジニア個人にも結べますか? A. 会社法21条が定めるのは、事業を譲渡した「会社」が同じ事業を行わない義務で、個々のエンジニアの競業を直接定めたものではありません。個人との競業避止や秘密保持の合意を結ぶことはできても、その有効性は合意の内容や個別の事情によって判断が分かれることがあります。本記事では有効性の判断基準を一次資料で確認していないため、書面の内容は弁護士に確認してください。
Q5. 外注(業務委託)のエンジニアが中心の場合は、何を確かめますか? A. 契約の相手が誰で、買い手に引き継げるか、契約を終えるときの条件は何かを確かめます。委任・準委任は民法651条で各当事者がいつでも解除でき、相手に不利な時期の解除には損害賠償の定めもあります(やむを得ない事由を除く)。契約の名前ではなく、実際の業務の内容で整理が変わることがあるため、本記事の整理では、契約書の条項と実態の両方を弁護士に見せて確認します。
Q6. DSS-P(デジタルスキル標準)は、M&Aの引継ぎに使う基準ですか? A. いいえ。IPAのデジタルスキル標準 DSS-P は、企業がDXを推進する人材を確保・育成するための指針で、M&Aの引継ぎ用ではありません。本記事では、担当業務を「フロントエンド」「バックエンド」「クラウド/SRE」などの役割に分けて、誰が何を担っているかを言葉にするための道具として使います。IPAの資料自身が、産業や事業に合わせて具体化するよう述べているため、そのまま当てはめず、自社のサービスの言葉に置き換えます。
Q7. 創業者が代表取締役の場合、辞任したらすぐに運営から外れますか? A. 会社と役員の関係は委任に関する規定に従い(会社法330条)、会社法346条1項は、役員が欠けた場合に辞任した役員が新たな役員の就任までなお役員としての権利義務を持つと定めています。どの場合にこれが当たるかは、役員の員数や定款で変わるため、本記事では判断しません。創業者に残ってもらう期間は、法律上の仕組みに頼らず、役割・報酬・在籍期間を事前に合意して書面にします(中小PMIガイドライン)。
出典
- 中小企業庁「中小PMIガイドライン~中小M&Aを成功に導くために~」(令和4年3月) https://www.chusho.meti.go.jp/zaimu/shoukei/download/pmi_guideline.pdf
- IPA「デジタルスキル標準 DSS-P 分冊版 ver.2.0」(2026年4月) https://www.ipa.go.jp/jinzai/skill-standard/dss/rcu1hd000000j76k-att/sep_dss-p.pdf
- 労働契約法(平成19年法律第128号) e-Gov法令検索(2026-10-18確認) https://laws.e-gov.go.jp/law/419AC0000000128
- 民法(明治29年法律第89号) e-Gov法令検索(2026-10-18確認) https://laws.e-gov.go.jp/law/129AC0000000089
- 会社法(平成17年法律第86号) e-Gov法令検索(2026-10-18確認) https://laws.e-gov.go.jp/law/417AC0000000086